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名古屋地方裁判所 昭和52年(ワ)1861号 判決

原告

尾池正臣

右訴訟代理人

清水幸雄

片桐勇碩

被告

尾関道子

被告

小沢定雄

右被告ら訴訟代理人

石原金三

外三名

主文

原告の被告らに対する請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一原告が本件宅地を所有していること、昭和五二年以前より、被告尾関道子がその地上に本件建物を所有して本件土地部分を占有し、かつ、被告小沢定雄が本件建物に居住占有して本件土地部分を占有していることは当事者間に争いがない。

二そこで、以下被告らの抗弁について検討することとする。

1  まず、〈証拠〉を総合すると、次の各事実を認めることができ、この認定を覆すに足る証拠はない。

(一)  原告は、肩書住所地に住み、昭和一六年二月に家督相続により本件宅地を含むその父所有の不動産を承継取得したが、当時本件宅地は他の二筆の土地とともに訴外鈴木典鋳に賃貸してあり、同人はその地上に貸家を造つて、これを賃貸していた。

(二)  原告は、昭和二〇年一一月まで、一時軍隊の召集を受けたほかは会社勤めをし、昭和二一年九月に県立工業学校の教諭になつて、昭和四五年三月県立高校の校長を退職し、更にその後昭和四九年三月まで私立学校の嘱託をしていたが、この間名古屋市東区西二葉の前記鈴木典鋳方に年に二回地代の取立に行き、昭和四五年頃同人が死亡したあと、昭和四七年頃からは同人の子鈴木八郎が本件宅地の借地権を相続し、右八郎の妻が原告方に右地代を持参して支払つていた。そして、原告は右のように地代の徴集をするほかは、特に賃貸土地の見廻りをすることもなく、昭和五〇年初頃北区役所で課税台帳を縦覧した際本件宅地上に被告尾関所有の本件建物が存在することを知つたものであり、また、本件宅地上の鈴木典鋳の貸家に柴田石之助が居住していることも知らなかつた。

(三)  他方、被告尾関(旧姓佐野道子)は、昭和二八年五月頃、右鈴木典鋳の貸家に住み、畑になつていた本件土地部分を一緒に同人から借りていた柴田石之助から、本件土地部分に本件建物を建てるつもりで、賃料一か月金三二五円の約定によりこれを賃借し、間もなくこれを建築して姉佐野かつ子と共に居住し、右柴田に右賃料(地代)を支払つていた。

(四)  右かつ子はその後外国に行き、被告尾関は昭和三一年二月頃尾関三澄と結婚して本件建物に住むようになつたが、その直後前記柴田が本件土地部分の本当の地主でないことがわかり、そこで右尾関三澄は被告尾関の代りにその地主らしいと思える前記鈴木典鋳方に行き、応待に出た番頭らしい人に対して、本件土地部分について改めて賃貸借契約を締結したい旨申出たが、地主らしい人とは会えず、その頃右の番頭らしい人から、右尾関三澄に対し本件宅地は柴田石之助に貸してあるのだから、同人と直接話合うようにとの返事があり、間もなく右鈴木典鋳に頼まれたと思われる三人の人が来て、本件宅地の測量が行なわれ、その後間もなく柴田から本件土地部分の地代値上げの要求があり、被告尾関はこれを承諾して以後一か月金一、四二九円を柴田方に持参して支払い、柴田はこれを足して自己の賃料を取立に来ていた鈴木典鋳の番頭に支払つていた。

(五)  被告尾関は、その後昭和四〇年頃になつて肩書住所地に転居して本件建物を被告小沢に賃貸したが、この間本件土地部分の賃料は更に値上げされ、前記柴田が昭和三七年に死亡したのちはその妻柴田フジエに右賃料の支払を続け、こうして被告尾関が本件建物を所有して本件土地を賃借していることにつき何の苦情もなく過ぎ、昭和五〇年頃になつて初めて、柴田フジエの家族を通じ、地主から本件土地部分の明渡方の要求があり、その所有者が原告であることが被告らに知らされた。その時点において、柴田フジエはそれまで受取つていた本件土地部分の賃料の受領を拒否したので、被告尾関はその夫尾関三澄名義で昭和五〇年一二月分以降の賃料を供託している。

2  右事実関係に徴して考えると、被告尾関道子の訴外柴田石之助からの本件土地部分の転貸借(普通建物所有を目的とし、期間は定めがないから、法定三〇年)については、その賃借人である鈴木典鋳の事後の承諾が昭和三一年頃なされたと認め得るけれども、真の土地所有者(賃貸人)である原告の承諾があつたとは認められず、従つて、右原告の承諾の存在を前提とする被告尾関の転貸借の抗弁は採用することができない。

3  しかし、前示認定の事実からすると被告尾関が昭和二八年五月頃以降訴外柴田石之助を地主、即ち権限のある賃貸人と信じ昭和三一年以降は正当な賃借人である訴外鈴木典鋳を地主と信じ、その承諾を得て、自己のため賃借ないし転借の意思をもつて本件土地部分を占有し、建物所有のためこれを用益して事実上その支配を続けていたことが明らかであり、その占有の始めに過失があつたことは否定できないけれども、右昭和二八年五月以降二〇年間平穏、公然(なお右占有の始めに善意であつた。)に占有を続けていたことを肯認するに足るか、被告尾関は、遅くとも昭和四八年五月の経過をもつて、本件土地所有者である原告に対する関係において前記転借権を時効により取得したものというべきである。

よつて、被告らの賃借権又は転借権の一〇年時効の抗弁は理由がないが、右転借権の二〇年時効の抗弁は理由がある。

四以上の理由により、原告の被告らに対する本件建物収去及び退去、本件土地部分の明渡並びに損害金の請求はすべて理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(深田源次)

目録〈省略〉

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